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★日本語「愛猫(および愛犬)」についてのイチャモン
たとえばの話、『作家の猫』といった本で、
「百鬼園先生の愛猫ノラが失踪したのは......」
と書かれていても、
おかっぱ頭に丸眼鏡の男性が猫を抱いた写真に
「藤田嗣治と愛猫」
などというキャプションがついていても、
これは、まったく何の違和感もありません。
この場合の「愛猫」は、
「内田百閒が飼っていた猫」、
「藤田嗣治が飼っていた猫」という意味であり、
身元不詳の猫ではないですよ、
ある特定の1匹ですよ、ということでしょう。
「愛」という漢字を使ってはいても、
「愛していた猫」というところまでは
踏み込んでいない気がします。
百閒の場合は、実際に溺愛していたようですが、
それでも、ノラという名にかぶせた愛猫は、
まずは、定冠詞的な機能を果たしている。
英語なら his などの所有格代名詞を使うところ、
日本語にはそうした無色透明の語がないために、
それに代わる機能を果たしているだけ、
という感じがします。
とはいえ、同時にそこはかとなく感じるのは、
「尊敬すべき作家の猫、に対する敬意」。
その人に帰属する猫を呼び捨てにはしにくい、
といったような気分も感じられます。
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一方、
このごろのペット商品や猫本やSNSで見かける
「愛猫の毛づやと健康の維持に!」とか
「愛犬と泊まれるホテル一覧」とか
はたまた
「うちの愛猫○○は、お風呂が大好きで......」とか
「愛犬△△に出会ったのは、去年の夏......」とか
こういうのには、どうも違和感があります。
「飼い猫」「飼い犬」じゃダメなの?
「飼う」という動詞に嫌悪があるのかな。
ここを語り出すと長くなるからやめときますが、
私はウリやグリコを「飼って」おります。
「飼い主」を自認かつ自任しております。
もし人さまの猫や犬を呼び捨てにはしにくいなら、
「おたくの猫ちゃん」「おたくのワンちゃん」、
この方がまだしも、違和感がありません。
好き嫌いは別として、ことばとして納得がいく。
他人の犬猫に対する敬称代わりだとすれば、
それを自分ちの犬や猫に使うのはなお変です。
うちうちで尊敬するのは自由だけれど、
ことばとしては不適切でしょう。
また、もし所有代名詞の代わりだとすれば
「うちの愛猫」では、機能がだぶります。
「うちの猫」でいいじゃないの。
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どうも今日の記事の文末は、
「思う」「感じがする」が多くて
説得力に欠けますけれども、
この違和感を共有していただける方は
果たしてありやなしや。
わが家のだいじな愛する愛猫ウリ
の、大あくび。
ふぁ~い。
元の記事およびコメント欄でのやりとりは
こちら⇒猫な日本語20190527